喪女の独り言

オタク楽しい

オタクがオタクじゃない生き方を考えてみた。

推しを推すことに以前のようなときめきを感じなくなった。

でも常に何かに熱中してたい人だからときめくものを年明けくらいからずっとずっと探してた。

何をみても「これだ」ってくるものが全くなかった。

いろんなオタクをやって来たけど、飽きたから他界というより新しいものを見つけてそちらに流れるタイプのオタクだったのでずっと何かのオタクだった。だから今みたいに熱中するものがない期間がなくて、その過ごし方がわからなくなってる、

 

私にとってオタクっていうのは、生き甲斐。

推しとたくさん握手するために労働してる。

推しに可愛い、清潔感のあるオタクだって思われるために美容やコスメ、整形に金かけてきた。

死んだら推しを見ることができないから生きてきた。

労働も美意識も生きる気力も全ては推しがいてこそだった。

オタクをしてない今の私に生きてる意味はない。大袈裟ではなくてこれが事実。

 

かと言って死のう!って簡単に死ねるわけじゃない。

命をつなぐために、生きるためにいろんなコンテンツを手にとってみたけどどれもささらなかった。

初めてオタクじゃない生き方を考えてみた。

この世の23歳はみんな何して生きてるの?

結婚?

仕事?

何が楽しくて労働出来てるの?

国民の義務だから全うしてるの?

そんな立派な人間なの?

生きるために働くの?

働くために生まれたの?

 

自由にオタクするために結婚したくないし彼氏もいらなかったし友達もオタクだけで十分だった。

私にとってオタクすることが人生。

私に色んなところに住む友達ができたのもオタクをしていたから。

お金の大切さを与えてくれたのもオタクをしていたから。

いきなりそれを捨ててオタクじゃない生き方なんて簡単に出来ない。

オタクにしがみついていたい。

 

部活に熱中して引退した瞬間何していいかわからない野球部状態。

定年退職して家に居場所がないおじさんの気持ち。

 

引退した野球部くんが受験勉強に切り替えるように、おじさんが自宅から出て外で居場所を探すように私も変わらなきゃいけないのかもしれない。

そうでないと受験失敗した野球部くん、妻に邪魔扱いされ離婚したおじさんになってしまう。

 

これから私がどうなるかみなさん楽しみにしててください。